Diary | 収集物

2019.10.08

家族





待ちに待った。こんなに何かを欲しいと思ったのはいつぶりでしょうか??
食欲は衰えませんが、物欲は年々なくなり、なんでもいいとなっていた自分に。
この懐かしい気持ち、、、。

遡ること写真館を初めてしばらくした頃に、この写真集の存在を知りました。
いろいろ調べてみましたが、
1991年に刊行されていたこともあって、すでに市場には流通していなくて、
一度見かけたときには手が届かない高価な写真集になっていました。

とにかく見てみたい
昨年はじめ、東京都写真美術館の図書館で夢が叶いました。
長い時間をかけて初めて出会えた、深瀬昌久さんの写真集「家族」。

1ページ1ページめくるのがなんとも言えない、
残りが少なくなってくるとまたなんとも言えないこの気持ち、、、。
もう所有することは諦めていて、見れただけでも大満足でしたが、
この度新装版が発売、待ちに待った写真集がようやく手元に届きました。
もう説明は不要で、一度写真集を見ていただければ伝わる何かがあると思います。

 

『家族』

「ピントグラスに映った逆さまの一族のだれもが死ぬ。
その姿を映し止める写真機は死の記録装置だ」
そんな言葉を残した深瀬昌久は北海道北部の美深町で
写真館の三代目として産まれた。
写真の勉強のため上京したまま後を継がず、十数年が経ち帰郷、
弟は写真館を継ぎ家族を持ち、妹にも家族ができ
大所帯となっていた深瀬家の家族写真の撮影を提案。
ただ普通の家族写真ではなく、腰巻をした妻、
翌年にはヌードの女性など5年にわたって撮影を続ける
「三代目くずれである私の、パロディー」と本人が話している通り、
伝統的な家族写真の形式を皮肉ったと思われる。
その後10年ほど間が空くが、父の年老いた姿を見て撮影を再開、
その二年後に父は逝去、三年後には深瀬写真館廃業、弟夫婦は離婚。
20年近く撮影された家族写真はまさに深瀬家の家族の遺影であり、
深瀬写真館の遺影とも言える大作。

 

 

2019.03.11

津波、写真、それから LOST & FOUND PROJECT



3.11以降、津波で流された家族写真やアルバムを拾い集めて、
洗浄、修復し持ち主の手もとに返そうというプロジェクトが
被災地各地で一斉に立ち上がりました。
「思い出サルベージ」も宮城県山元町で
被災した写真を一枚一枚洗浄し、複写、
データ化検索できるようにする活動を始めます。
その活動はやがて、中心人物の写真家の高橋宗正さんのアイデアで
ダメージの大きな写真を世界各地で展示し、
寄付金を募る「LOST & FOUND PROJECT」へと進展していきます。
この一冊は、被災写真155点とともに活動の記録が収められています。

「写真に何ができるんだろう?」
大きな災害に見舞われた中なぜ人は写真を拾い集め、
持ち主に返そうとしたのか。
東日本大震災はもちろんのこと。各地で起ったこの活動は、
漠然と考えていた将来に
自分が行動を起こしていくために
本当に大きな大きな力で背中を押して頂いたと思っています。
東日本大震災と、この活動がなければ写真館をやっていなかったかもしれません。
自分はカメラマンとして、他の方向に向かっていたかもしれません。

今日は少し立ち止まって大切な人や事、物について
考えて感謝する1日にしたいと思います。

2018.12.08

John Lennon A Family Album



誰も見ることのできなかった
ジョンとヨーコとショーンの幸せな日々の記録が収められた写真集。
和名『ジョン・レノン 家族生活』。
1976年8月からの3年間、
ジョンは全ての音楽活動、平和維持活動から身をひき、
主夫に専念しショーンの育児に没頭したと言われています。
その間、ジョンのプライベートアシスタントとして
身近にいた写真家西丸文也が
プライベートのアルバム用に
軽井沢や東京、ニューヨークなどで撮影された
あるがままの家族生活を切り取った貴重な写真で
構成されています。
その後ジョンは沈黙を破り、1980年11月に『Double Fantasy』発表。
1ヶ月も立たない12月8日に凶弾に倒れました。
激動の時代に、若者も大人も先導し様々な行動や作品を遺したジョンが
家庭の中でも当時日本では考えられないくらい
時代の先をいっていたのが垣間見れます。

2018.08.18

NORBERT GHISOLAND


いつも解説を書くときは購入したお店で
どんな人でどんな作品でということを聞いたり、
ネットで検索して調べたりものをまとめて解説させていただいております。
説明するためのものなので名称や数字など極力間違いがなく
自分の主観もあまり含めず、お伝えできるようにと心がけています。
ただ今回はなかなか日本語のサイトが出て来ず、フランス語のサイトなどから
翻訳ソフトで変換してでてくる不可解な日本語とにらめっこして解説しました。
と言っても解説に重きを置いているわけではなく、
あくまでもお伝えするための道具だと思っています。
なにより写真集そのものをじっくり見て頂いて
何かを感じていただくことが一番大切なことだなと思います。
写真館に置いてありますので是非ご覧いただきたいです。

今回びっくりしたのはGHISOLANDさんは
37年間で90000枚という写真を残したということです。
1日も休まず、毎日6.6組の方を撮影したことになります。
ここからは憶測なのですが、写真を見ていても
すごく優しくて真面目で几帳面な方だったんじゃないかなと思います。
僕が見たのは90000枚のうち、わずか90枚ほどなので
本当のことはわかりませんが、
なんとなく写真を見てそう伝わってきます。
背景もたくさんの種類があって、
構図がすごく丁寧で、ポージングもおそらく指示されているかと思いますが、
あくまでも控えめで美しい。
職人さんのように、哲学を持って、コンディションを整え、
日々淡々とさも当たり前のように仕事をこなしていった結果が
このような天文学的な数字になったのだろうと思います。
現代でいうイチロー選手のような感じでしょうか。
あくまでも個人の妄想ですが、、、。
そして竹田写真館もそういった写真館を目指しています。

『NORBERT GHISOLAND』

1878年にベルギーのボリネージで
炭鉱夫の息子として生まれたNORBERT GHISOLAND 。
自分達より良い人生を迎えられるようにと父親が買い与えた
写真機器を元に写真を学び1902年写真館を開業します。
写真技術の急速な進化に伴い、肖像写真は最貧地域でも盛んでした。
ブルネイ人、鉱夫、兵士、宗教、スポーツマン、
あらゆる年齢のあらゆる人々を相手に37年間、その数90,000枚
とも言われるポートレイトを残しました。
61歳で没後、息子、孫へとスタジオは引き継がれます。
ネガが屋根裏に放置されているのを知っていた孫が、
父の没後、紙に焼き付けるところから始まる物語の第2章。
ベルギーの炭鉱の町で営んだ写真館の貴重な記録と共にその名が
ヨーロッパをはじめ世界各国の方に知れ渡ることになるのです。

2018.05.29

MALICK SIDIBE -Mali Twist-




マリの若者たちを撮り続けたマリック・シディベは
兄のセイドゥ・ケイタとならびアフリカの巨匠と評されます。
1962年「スタジオマリック」をバマコに開設、
内面をダイナミックに引き出した動きのあるポートレイトと、
若者が集まるパーティー全てに30年間足を運び撮影した
スナップショットを数多く残しました。

ロックンロールに興じる若者たちの姿からは、
当時の流行だけでなく、
植民地時代の過去からも、
誕生したばかりの社会主義政権からも
解き放たれた自由な雰囲気が伝わってきます。

そんな貴重な写真に脚光が浴びたのは、
意外と遅く2000年代に入ってから。
名声を手に入れた彼ですが 謙虚な人間性で、
いつまでも庶民の中に生き、
その感覚を失わなかったそうです。
2016年4月14日に81年間の生涯に幕を閉じました。

2018.02.05

The Brown Sisters Forty Years

info20180205_1
info20180205_2
前々から気になっていた写真集をようやく手に入れました。
Amazonでアメリカから約一ヶ月。
注文した事も忘れるくらいのタイミングで届いた作品は。
想像を絶するものでした。

その写真集とはアメリカで活躍する写真家ニコラス・ニクソン氏が
1975年夏のある日、妻の実家に遊びに行った際に勢揃いしていた4姉妹を
普段着のまま撮影したところから物語が始まります。
奇しくも館長の産まれた年でもあります。

それから一年、姉妹の一人が卒業式を迎えた日、
一年前と同様4姉妹が集まっていたので再び撮影。

これは面白いと言う事で毎年撮影する事を提案、
姉妹が快諾した事もありブラウン家4姉妹を40年間に渡って
場所を変えながらも同じ並びで記録するという
途方もないライフワークが始まります。

撮影には8×10の大判カメラを使用、
ニクソン氏がカメラとともに影として写り込んでいる年もあります。
また写真のセレクトは4姉妹で行ったそうです。

4姉妹を題材にしながら
40年という圧倒的な時間を写し込んだ超大作。
何度も写真集を見返しては40年もの時間を行き来する
42歳の自分がそこにいました、、、。

2018.01.31

FRANK MATSURA

info20180131_1
info20180131_2
info20180131_3
先日京都での撮影の空き時間に
Books & Thingsさんにお邪魔してきました。
写真館の資料になるようなものをと
探していると一冊の本を差し出して下さいました。

タイトルは『FRANK MATSURA(フランクマツラ??)』

お話を伺うと1901年、27歳で単身アメリカに渡り
ワシントン州の奥地オカノガンで
写真館を構えた松浦栄という方の残した写真をまとめた一冊とのことで、
そんな時代に日本人がアメリカで!とビックリしました。

その後一度も日本の地を踏む事なく
生涯独身のまま39歳で結核で亡くなるまでの僅かな期間で、
開拓者や先住民のポートレイト、風景写真など
西部開拓史研究の資料としても極めて貴重な
1350枚以上もの写真を残したそうです。

写真館の店主というよりはジャーナリストとして
歴史の一旦を切り取っただけではなく、
「MATSUURA」ではなく「MATSURA(マツーラ)」と名乗り
好奇心旺盛で、ユーモアがあり、ジェントルマン。
そして小柄ながら、男前。
率直で表裏のない人柄から
白人からもインディアンの人たちからも
「フランク」と呼ばれ愛されたそうです。

葬儀には沢山の人々が訪れ、教会では収容できず会場が変更されたほど、、、。
アメリカの小さな町の人たちの記憶に刻まれた日本人を、
知る事が出来て本当に嬉しかったです。

Books & Things

京都市東山区古門前通大和大路下ル元町375-5
TEL 075-744-0555
http://andthings.exblog.jp
12:00~19:00
不定休

2017.09.12

長崎 幻の響写真館 井手傳次郎と八人兄妹物語

info20170912_1
info20170912_2
朝晩涼しくなって、今年も夏が終わろうとしています。
少し前の話になってしまいますが、
今春、取材の合い間に立ち寄った恵文社さんにて購入した一冊。
引き込まれる内容で仕事移動の電車にて数日で読破しました。

8人兄妹の1人だった著者の母、
その父が戦前の16年間だけ長崎で営んだ写真館が「響写真館」。
母を亡くし始まった、 幻の写真館の在りし日への旅。
兄弟の話と残されていた1300枚にも及ぶ 莫大なガラス乾板を通じて、
若かりし日の母の姿、 八人兄弟、写真館の営み、長崎、その時代、
そして8月9日をどう過ごしたのかが浮かび上がってきます。

著者のインタビューと残された写真が相まって
その時代をよりリアルに感じることが出来ました。
少し重なるんですが、つい最近映画『この世界の片隅に』を観ました。
人の命だけでなく、日常生活の営み、町並み、文化、夢や希望まで奪っていく戦争。
戦時中は生きる事でいっぱい、終戦後は食べるのがやっと、
そんな時代を前に役目を終えるかのように閉館した響写真館。
時代を思うと最良の選択だったのかもしれませんが、
何故そうせざるを得なかったのか、
という怒りに近い悲しみに胸がしめつけられます。

戦前にも現代のような日常生活の営み、町並み、文化、夢や希望と
豊かな時代があった事。
そしてそんな日常に戦争が徐々に忍び寄って来た事。
終戦から72年。
今でも残された写真が伝えています。

2014.03.31

THE HIDDEN MOTHER

info20140331_1
info20140331_2

取材先のBuddyOpticalさんにて一目惚れ。
さらに店主でありアイウェアブランド『BuddyOptical』デザイナーの
池原さんの説明が凄く興味深く親切で即購入。

お話によると、この写真集はその名の通りで、
機材や感光材の性能が悪く1回の撮影に多くの時間がかかった当時、
子供が動いてブレたりしないように、
お母さんが布をかぶり背後に隠れて真剣に子供を押さえつけているという
肖像写真1002枚をイタリア人アーティストの
リンダ・フレグニ・ナグラーという人が
まとめたものだそうです。

なんとも滑稽ではありますが。
19世紀から20世紀初頭、
まだまだ子供の生存率が低かった時代。
子供だけの写真を残したいと思う親の真剣な思いの詰まった写真集です。

BuddyOptical

大阪市西区京町堀1-13-24 大阪装飾ビル2F
TEL 06-6147-8834
http://www.buddyoptical.com/
11:00~19:00
日・月曜日定休

2014.03.23

田辺写真館

info20140323

先日のブログで書かせて頂いた芝川ビルでの展示。
実はこの本を読み終えたばかりのタイミングでした。

ご実家の写真館を通して、
昭和始めの豊かな時代から戦争へと向かう時代の事、
当時の大阪の事が、子供だった田辺聖子さんの目線から
書かれている内容でした。
戦争前に豊かな時代があり、賑わっていた大阪があったこと。
芝川ビルで展示されていた記念写真と
読んだばかりの本と
重なる部分が沢山ありました。

69年前の3月は最初の大空襲が大阪を襲いました。
6月の2回目の大空襲で田辺写真館は被災し廃業したそうです。
未来というのはどうなるかわかりませんが、
平和な時代が続く事を願うばかりです。

次へ