Information

2020.06.01

上野彦馬



6月1日は「写真の日」。
日本人が初めて写真撮影に成功した日。
天保12年(1842年)国内で初めて薩摩藩主、島津斉彬が撮影された日にちなみ
昭和26年(1951年)制定されました。
ようやうコロナ騒動も少し落ち着き、
次のステージへと進みはじめるこの月初め、
写真にとっても大切な記念の日でした。

私自身、写真の世界に身を置くようになったのは
会社員時代を過ごしたのちの20代半ば、
もうこの頃は、人に対する憧れなどはなくて、
自分自身どういう風に生きていくか、
を考える年齢にあったと思います。
そんな私にも10代の頃にはこんな人になりたいというアイドルがいました。
マイケルジョーダン、ジョンレノン、坂本龍馬、の三人です。
圧倒的に到達できない域にいらっしゃる、説明不要の人たちです(笑)。
写真を始める前、10代の頃にも彼らのたくさんの有名な写真と出会っていたわけです。
ダンクコンテストでフリースローラインから跳躍しリングを捉えるマイケルジョーダン、
チームUSAのユニフォーム姿でいい表情で写るドリームチーム結成時の雑誌の表紙、
アビーロードを歩くビートルズ、
NEWYORK CITYのTシャツ姿で腕組みするジョンレノン、
袴にブーツ姿で懐に手を入れ台にもたれかかる坂本龍馬、
写真というのは被写体あってのもので
特にこのような有名な人物の写真だと、
写真に興味がない人にとっては撮影したカメラマンというのは
それほど大切なことではないのかもしれません。

まだ写真と出会っていなかった10代の自分も
例に漏れず坂本龍馬を通じて
知らず知らずのうちにカメラマン上野彦馬の仕事を知っていた訳です。

上野彦馬は、化学を学ぶ際に蘭書からホトガラフィー(写真)の存在を知り、
技術を学び習得、感光剤に用いられる薬品は研究を繰り替えし全て自作。
長崎に上野撮影局を開業しました。
日本最初期の、写真館であり、職業写真師です。

坂本龍馬(現在では弟子が撮影したことが通説になっているそうです)の他にも、
伊藤博文、高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允)など
幕末、維新後に活躍した多くの人物の肖像写真を撮った人物で、
彼の名前を知らない人はいても、
彼の撮った写真を見たことがない人はいないと思います。

写真創成期は本当に苦労の連続だったと思います。
彦馬が単独で人物撮影に成功した際は、被写体の顔いっぱいに白粉を塗り屋根瓦の上に不動の姿勢を5分間保たせ、
通行人に鬼瓦と間違えられたそうです。

そして撮影もさることながら、写真には欠かせない薬品を確保するための苦労も大変だっと思います。
硝酸銀を得るためにメキシコドルの銀貨を、1回に10ドル20ドルづつ硝酸に溶かしていたとか、
アンモニアを得る際は、獣肉が禁忌だった当時、生肉が付着している、一頭分の牛骨を土中に埋めておき、
腐り始めた頃に掘り出して釜に入れ、煎じ、蒸留して採っていたとか

とにかく今では考えられない

さらに薩摩藩主、島津斉彬が家臣の二人を試しに写させようとしたところ、
家臣は先祖に申し訳ないと切腹。
鎖国時代から徐々に開国に向かう中、様々なものが伝来、
一般の人にとっては化学やそういった目新しいものが薄気味悪がられた時代に
周りの冷たい目にも流されず写真の道を探求できたのは、
もともと化学を学んだ人だったのと、新しいものへの感覚、
なにより自分が納得いくまで研究を重ねる人だったからこそなんだろなと思います。

そんな時代を経て写真館は徐々に全国に広がりを見せていきます。
もともと写りさえすれば良かった明治の前期に、
今度はレンブラントの作品から影響を受け、
肖像写真において、白と黒、光と陰の処理が、どんなに大切なことか
画面のしめる明暗の分量をどう配置するか、その効果を考えることが、
写真の構成上、大きな問題であることに気づいたのです。
初めてライティングという概念が生まれた瞬間です。
また西南戦争での従軍カメラマンの経験を経て、単に技術の巧拙ではなく、
対象に深く分入って、そのいのちを表現しようとする傾向になっていったそうです。

上野彦馬が残したたくさんの貴重な写真が
「最も雄弁なる無言の歴史」の語り部として、
動乱の世の中で撮影自体も本当に大変だった150年前の時代と
平和で誰しもが簡単に撮影ができるようになった今の時代と
を結んで様々な大切なことを伝えている気がします。

なお冒頭で記載した「写真の日」については
当初、彦馬の父、上野俊之丞が薩摩で藩主島津斉彬の撮影に成功したという
記述を元に制定されましたが、
のちに誤りだったとわかっています。
実際、国内で最初にダゲレオタイプ(銀板写真)の撮影に成功したのは、
安政4年(1857年)9月17日に薩摩藩士の市来四郎と宇宿彦右衛門らが
藩主島津斉彬を撮影したということでした。
ちなみに上野俊之丞がダゲレオタイプ(カメラ)を
初めて輸入、入手した人物とされています。