Diary | 日常

2019.07.05

『stylemeets X 粂井仰』


発売中の『Meets Regional』2019年8月号の
『stylemeets』というレギュラーページで
粂井仰さんを撮影させていただきました。

竹田写真館のオリジナルフレーム、
ポラロイド写真館用のフレーム、
椅子、鏡、ハンガーラック、扉、窓、表札、
全てこの方の作品です。

色々と大切なタイミングの中、
このような機会を設けていただきまして
本当に感謝しかありません。

 

 

2019.05.22

竹田写真館は今の場所に移って五年目を迎えました

本日竹田写真館は今の場所に移って四年が経ち、五年目を迎えます。
これもひとえに今までお越し頂きました全ての皆様と、
いつも支えて頂いています皆様のおかげです。
本当にありがとうございます。

正直あっという間でもあり、まだ四年!という感じで
過ぎ去った歳月の記憶なんて曖昧なもんだなと思います。
でも過ぎ去った歳月を侮るなかれで、
まだお腹の中にいた末っ子は、今年、年少組です。
そして我が子もですが、お客様のお子さんも、
もちろんそのお父さんお母さんも四年が経っているわけですね。
そして僕も。
これは曖昧なんて言葉では片付けられない、
現実というものがそこにあります。

そんな浮遊しているような不思議な時間と記憶を
しっかり写真が残してくれてるのかなと思います。

間借りでスタートした写真館ですが、
お店を構えて営業することで
この場所もまた、
お越しいただいたすべてのお客様の時間と記憶を
刻んでいっているような気がします。
これからもどうぞ宜しくお願い致します。

 

 

2019.04.07

ショーウィンドウ


竹田写真館のショーウィンドウのディスプレイを約2年半ぶりに変えました。
ご来館予定のお客様、ご近所のお客様、
是非ご覧くださいませ。

2019.04.03

キッチンニコ


心斎橋のキッチン和(KITCHEN NICO)さんが
本日で16周年を迎えられます。
この入れ替わりの激しい時代に16年は本当に凄いことだと思います。

思い返せば12年前のこの日、
翌年の独立に向け営業活動をしていたタイミングで
色々と相談していた後輩から
「今日知り合いのお店が周年なんで一緒に行きません?」
と言われ一緒に行ったお店こそキッチン和さんでした。
お店はパンパン、記憶は曖昧ですが、
街のオシャレさん、飲食関係、出版関係、デザイン関係、
音楽関係、映画関係、ファッション関係、
他にも多種多様な職種の勢いのある方々が集まっていて
今までの生活では出会えなかった人たちと名刺を交換させていただき、
自分自身も興奮して、独立への不安しかなかったところから
何か空気がガラッと変わった感じがしたというか、
前向きななれた一夜だったような気がします。

翌年に無事に独立でき、
その後は、飲みにいったり、取材で伺ったり、
イベントでお会いしたりしていましたが、
最近は夜の街自体にほとんど出れていなくて
ご無沙汰しております、、、。

キッチン和さんの周年のDMは毎年お店の前で撮影されていました。
今回オーナーさんが変わられるタイミングで、
まさに続きであり、新しい始まりでもある16周年のアニバーサリー。
そんな大切なタイミングにわざわざ
竹田写真館にご来館いただき、撮影をしていただきました。
僕にとっては感謝の場であり、甘酸っぱい思い出のお店の
新たな船出にご協力できて本当に嬉しい限りです。
この度はおめでとうございます。

2019.04.01

Meet Regional


本日発売。令和元年5月号のMeets Regional。
撮影させて頂いた写真が表紙になりました。
創刊して今年で30周年、まさに平成と共に、、、。
そんな節目に本当にありがたいことです。

そもそもまだカメラマンを目指す前の約24年前、
20歳頃から23歳くらいまで、毎月購入しては、
特集はもちろん、モノクロページ、プレゼントのコーナーまで
全て読破していました。
美味しいお店から、街の深いところ。ファッション、
カルチャー、面白い人、新しい動き、最先端のいろいろなこと。
そして何か心に引っかかるコピーや文章、目が止まる写真。
Meets Regionalはその当時の僕にとって、
情報を得るためだけのものではなく
オシャレで面白い大人の世界の入り口というか
モノサシであり方位磁石のような存在でした。
そしてカメラマンの世界に入り、独立した33歳、
まさかそんな雑誌の写真を自分が撮れる日が来るとは
夢にも思いませんでした。
そこから11年、様々な撮影をさせていただきました。
連載もさせていただきました。

昭和に生まれ、14歳で平成に変わり、
その当時お年玉で買ったウォークマンが
本当に嬉しかったことを今でも覚えています。
そこからパソコン、インターネット、携帯電話、スマホ、SNSと
情報を得る手段や娯楽も一気に進化していきました。
当時は今みたいにじっとしていても
情報が転がり込んでくる時代ではなかったので、
お金を出して買った雑誌を大切に隅々まで読んでいたし、
CDからカセットテープにダビングして擦り切れるまできいていた。
そんな気がします。
そして令和はどんな進化を遂げ
どんな時代になるんでしょうか??
楽しみで仕方ないですね。
今月号の『新世代の店』、家宝にします。

2019.03.31

春の撮影

もう明日の今頃には新しい元号を知っていると思うと不思議な感じですね。
「平成」に変わるときは全てが急に決まっていった感じだったように
中学生ながら思っていましたので今回は違った感じで、
いよいよかといった感じで、まさに春の感じですね。

そんな世の中もバタバタの年度末ですが、
竹田写真館の繁忙期は
9月後半から12月にかけての秋の時期です。
いい季節で、記念日も多く、七五三に、そして年賀状用に、
一年の締めくくりに多くのお客様にご利用頂き
忙しくさせていただいております。
そして、次に忙しい時期がまさに今の時期です。
卒業、入学、就職、転勤、新しい生活のスタート、出会いと別れ。
この時期の撮影は僕自身もいいなと思うところがあって、
お客様も新しい生活への希望や不安、
離れ離れに暮らすことになるタイミングだったりもあり、
親御さんもお子さんもいろんな感情が入り混じって、
あとあとも心に残るであろう
何か特別な時間、撮影になります。
ピカピカのランドセル、少しぶかぶかの制服、真新しいスーツ、
またそれとは逆についこの前まで毎日着ていた使い古した制服、
そんな脇役のアイテムも「今まで」そして「これから」の
物語を語ってくれてるように思います。
あいにく竹田写真館は土日祝のみの営業のため、
平日の卒業式や入学式の後にご利用いただくには難しい場合が多く、
ご迷惑をおかけいたしますが、
もし機会がありましたら、
この何かが始まる前の
なんとも言えない愛おしい空気が流れる、
春の撮影、おすすめです。

2019.01.13

営業開始


2019年、写真館の営業が本日より始まりました。
青空のいいお天気の中、
毎年恒例の記念写真。
今年もこの場所でたくさんのお客様と過ごさせていただくお時間が
今から楽しみです。
本年もどうぞよろしくお願い致します。

2019.01.07

年始のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。
竹田写真館は七回目の年始を迎える事が出来ました。
ありがとうございます。

昨年もやりたかったことが、ほとんど出来なかった一年でした。
今ではそんな自分に少し慣れてきました。
色々なやりたいことよりも、
目の前のお客様、一組一組に集中して撮影をさせていただくことが
本来の務めだと思います。
また少し余裕ができましたら、頭の中のことを少しづつ形にできていければいいかなと
昨年あたりから思えるようになりました。

そして有り難いことに
年々、写真館に何度も来ていただけるお客様が増えてきています。
今年はそんな皆様との再会の時間を大切に、
また新しいお客様ともそういった関係になれるように、
最初に述べましたように、
お越しいただきましたお客様、一組一組皆様とのお時間を大切にしていける
そんな準備をしてお迎えしたいと思います。

追加になりますが2月にポラロイド写真館を予定しております。
また決定しましたら、こちらのブログとインスタグラムからご案内させて頂きます。

年頭のご挨拶が長くなりましたが、
本年もどうぞよろしくお願い致します。

館長 竹田俊吾

2018.12.31

2018年もありがとうございました


今年も沢山の方にお越し頂きまして
本当にありがとうございました。

毎年の恒例行事にして頂いている方、
大切な行事の都度お越し頂いている方、
そしてご兄弟、ご友人、会社の同僚の方にご紹介頂いている方、
そんな皆様のおかげで竹田写真館は
少しづつ少しづつですがお客様も年々増えてきています。
ありがとうございます。

もちろん初めての方もいらっしゃいますが、
今年なんかはそのほとんどが、お客様からのご紹介でした。
お客様のお宅に飾ってあるお写真、お客様の年賀状、お客様のSNSを見てという方で
本当に嬉しい限りです。

あと嬉しかったことがありまして
今年は3社の雑誌に竹田写真館を掲載して頂きました。
全て繋がりのある方からのご紹介で本当に嬉しかったです。
お客様からも「見ましたよ!」とお声がけ頂いたりよい記念になりました。
お写真使用に際しご快諾頂きましたお客様にも本当に感謝です。
雑誌を見て来られるお客様との新たな出会いも楽しみです。

そんな中、開業前からほとんど何も変えず続けてきた様々なことを一旦見直して
6月からサービスの変更をさせて頂きました。
それに合わせて写真館のホームページも一新しました。
また年々10月中旬から12月中旬の二ヶ月にご予約が集中する傾向が続いておりまして
ご予約の際にご希望に添えずご迷惑をおかけしたり、
撮影当日も前後のお客様とのお時間があり窮屈な思いをさせてしまったりと
大変申し訳ございません。
そして極め付けは11月の後半にダブルブッキンングをしてしまいお客様にご迷惑をおかけしてしまいました、、。
この場をお借りしましてお詫び申し上げます。

たくさんのお客様との一年間の思い出、
誠にありがとうございました。
またいつも陰で写真館を支えて頂いている皆様。
ありがとうございました。

毎年恒例の年末の写真館ペンキ塗りと片付け。
写真を見てお分かりかと思いますが、一年でこれだけの色の違い。
このままどんどん記録していきたい気分でもありますが、
一年ごと、気持ちを入れ替えて真っ白な気持ちでまた2019年も
準備を整えて皆様をお迎えできるようにこころがけます。
来年も竹田写真館をどうぞ宜しくお願い致します。

2018.10.08

金太郎飴本店

まもなく七五三の季節です。
竹田写真館ではこの時期が一年で最も忙しく、
通常は土日祝のみ営業の写真館ですが、
10、11月は平日も数日開館しております。
竹田写真館では着付けやヘアメイクのサービスがなく、
七五三の撮影に適した写真館とは言えません。
そんな写真館にお越しいただけるお客様のために、
「せめてもの」そんな思いから始まったのが
千歳飴のプレゼントでした。

当初は全く千歳飴の知識もなく、
「七五三といえば千歳飴」程度のもでした、
簡単にインターネットで検索した結果、
自分がいいなと思ったものが、
古風なデザインのものと、
今っぽい洗練されたスッキリしたおしゃれなものの二つでした。
結果、金太郎飴本店の古風なデザインのものがいい、
と決めさせて頂きました。
いわゆる「七五三」な感じのパッケージが
決め手となった大きな要因ではありましたが、
もう一つは金太郎飴の表情の愛くるしさでした。
それから早五年。
千歳飴の歴史も、金太郎飴の歴史も、
しいては七五三のこともよく分かっていなかったので、
東京出張時でタイミングの合う時に
一度お店に伺いたいなあと前々から思っていました。
ネットで調べれば済む話なんですが、
直接お会いして聞きたいと思う何とも面倒臭い性分の館長、、、、。
そして今春願いが叶い、お邪魔して来ました。

今春といってもまだ肌寒い2月後半。
メールからの唐突なお願いにも関わらず、
渡辺さん(六代目)が時間を作って下さいました。
「写真館の人が来るなんて初めてです。」
カメラマンがインタビューする
なんとも不思議な感じでお話はスタートしましたが、
不審者ではないと分かっていただいた様で、
一時間の予定が約二時間、
あいにく作業工程の見学はできませんでしたが、
歴史や金太郎飴のお話をたっぷり伺わせて頂きました。

金太郎飴本店の歴史は初代の方が
明治のはじめに飴売りの露天商を始めたところからはじまります。
そして「組み飴」(キャラクターや文字などのデザインが施された飴のこと)の一つとして
強い子供の象徴である「金太郎」をモチーフにした
金太郎飴が誕生したそうです。

今や七五三に欠かせない千歳飴ですが、
そもそもなぜ七五三で千歳飴なんでしょうか?

そこには商業的な要素があったようです。
神社や写真館がサービスの一環として始めたそうなのですが
ここ40年くらいの話で比較的新しいものでした。

ではなぜ七五三と飴なのでしょうか??
ここからは諸説ありまして、色々調べたものを
なんとなくこうなのかなという感じでまとめました。

まず七五三とは、、、
平安時代に公家の間で始まったお祝いの儀式が起源のようですが、
一般的には江戸時代に五代将軍徳川綱吉が
長男徳松をお祝いしたことが始まりのようです。
江戸の一般庶民の間に広がったこのお祝いの儀式は、
やがて呉服屋で子供向けの商品を売り出すなど盛んになり、
京や大坂、次第に全国に広まったとされています。
意外なことに「七五三」という言葉が生まれたのはもっと後、
明治に入ってからだそうです。

では七五三という由来はどこからきたのでしょうか??
これは元々、「髪置」「袴着」「帯解」の祝いといっていたそうで、
「髪置の儀」は三歳の男女(地方によっては主に女児)の祝いで、
「もう赤ん坊ではない」という意味から
今まで剃っていた髪を(江戸時代の風習)この日から伸ばし始める儀式。
「袴儀」は五歳の男児の祝いで、
袴を着用し始める儀式。
「帯解きの儀」は七歳の女児の祝いで、
着物の着け紐を取り去り帯を結び始める儀式。
「七」「五」「三」など奇数は縁起のいい数字とする
中国の思想もあるそうです。

そして千歳飴のはじまりについてですが、
江戸時代元禄〜宝永(1688〜1711)頃
浅草の七兵衛という飴売りが
紅白に染め抜いたた棒状の飴を、
松竹梅や鶴亀をあしらった細長い袋に入れ
『千年飴』『寿命糖』という名で売り出したとされています。
他にも1615年大坂の平野甚左衛門が江戸に出て
「長い長い千歳飴を食べると千年もの長寿になる」
というキャッチコピーで売り出した説もあるようです。
起源には様々な説がありますが
そんな、めでたく当時まだ高価だった飴が、
「粘り強く長く生きて欲しい」という
我が子を思う親の願いにつながり、
七五三のお祝いのお返しとして配ったのが
七五三と千歳飴の歴史の始まりだそうです。
全然知らなかったのでびっくりしましたが、
昔は頂くのではなく配っていたということです。
今でも金太郎本店には昔ながら、
数十個単位で購入される
年配のお客様がいらっしゃるそうです。

そんな金太郎飴本店では今なお、
職人さんの手で金太郎飴を作り続けておられます。
金太郎飴といえばどこを切っても同じ顔というイメージ。
今で言うところの「コピペ(コピー&ペースト)」のような
もしくはスタンプのように
合理的に大量に生産をするための工夫だと思っていましたが、
実は手作業のため、
同じ顔は二つとしてないそうです。
すごく興味深いお話だなあと思いました。
それはまさに全てのお子さんと同じで、
同じ子供は二人として存在しないということで、
目が大きい子がいれば目が細い子も、
鼻が高い子も顔が丸い子も口が大きい子も、
社交的な子もいれば、一人で何かに没頭するタイプの子、
物覚えがいい子がいれば、スポーツ万能の子もいる。
親にとっては我が子は我が子。
人と比べるものではなく、
その個性を悲観するんではなく、
その個性が素晴らしいことだということ。
そしてそんな個性がたくさんある世の中の方がやっぱり彩りがあって。
いい世の中だなあと。
なんだか七五三にお子さんに伝えるメッセージとしては
僕はしっくりきました。
そしていつの世も親が子を思う気持ちは一緒で
「金太郎のように強く逞しく優しく、千歳飴のように粘り強く長生きして欲しい」
子供の成長と共にある七五三と千歳飴は
切っても切れない関係でした。


東京メトロ日比谷線三ノ輪駅を出てすぐの金太郎飴本店

伸ばしていく前の金太郎飴と五代目の写真

取材を快諾頂きました六代目渡辺さんはIT企業でお勤めされていたそうです
新しいことへの挑戦もたくさんされています

細長い金太郎飴は粘り強く長く生きて欲しいという親の願いにもつながりました

店内いたるところに金太郎が、昔のものや貴重なものが

金太郎飴のロゴがあしらわれた暖簾

切られた状態でも販売されていました。

確かによく見ると顔が違ってて見比べるのも楽しいですね
金太郎飴は作った人に顔が似るらしいです

WEBサイトにはなかったこちらのデザインがすごく気に入り
今年から竹田写真館ではこちらのデザインにさせて頂きました