Diary | 日常

2018.10.08

金太郎飴本店

まもなく七五三の季節です。
竹田写真館ではこの時期が一年で最も忙しく、
通常は土日祝のみ営業の写真館ですが、
10、11月は平日も数日開館しております。
竹田写真館では着付けやヘアメイクのサービスがなく、
七五三の撮影に適した写真館とは言えません。
そんな写真館にお越しいただけるお客様のために、
「せめてもの」そんな思いから始まったのが
千歳飴のプレゼントでした。

当初は全く千歳飴の知識もなく、
「七五三といえば千歳飴」程度のもでした、
簡単にインターネットで検索した結果、
自分がいいなと思ったものが、
古風なデザインのものと、
今っぽい洗練されたスッキリしたおしゃれなものの二つでした。
結果、金太郎飴本店の古風なデザインのものがいい、
と決めさせて頂きました。
いわゆる「七五三」な感じのパッケージが
決め手となった大きな要因ではありましたが、
もう一つは金太郎飴の表情の愛くるしさでした。
それから早五年。
千歳飴の歴史も、金太郎飴の歴史も、
しいては七五三のこともよく分かっていなかったので、
東京出張時でタイミングの合う時に
一度お店に伺いたいなあと前々から思っていました。
ネットで調べれば済む話なんですが、
直接お会いして聞きたいと思う何とも面倒臭い性分の館長、、、、。
そして今春願いが叶い、お邪魔して来ました。

今春といってもまだ肌寒い2月後半。
メールからの唐突なお願いにも関わらず、
渡辺さん(六代目)が時間を作って下さいました。
「写真館の人が来るなんて初めてです。」
カメラマンがインタビューする
なんとも不思議な感じでお話はスタートしましたが、
不審者ではないと分かっていただいた様で、
一時間の予定が約二時間、
あいにく作業工程の見学はできませんでしたが、
歴史や金太郎飴のお話をたっぷり伺わせて頂きました。

金太郎飴本店の歴史は初代の方が
明治のはじめに飴売りの露天商を始めたところからはじまります。
そして「組み飴」(キャラクターや文字などのデザインが施された飴のこと)の一つとして
強い子供の象徴である「金太郎」をモチーフにした
金太郎飴が誕生したそうです。

今や七五三に欠かせない千歳飴ですが、
そもそもなぜ七五三で千歳飴なんでしょうか?

そこには商業的な要素があったようです。
神社や写真館がサービスの一環として始めたそうなのですが
ここ40年くらいの話で比較的新しいものでした。

ではなぜ七五三と飴なのでしょうか??
ここからは諸説ありまして、色々調べたものを
なんとなくこうなのかなという感じでまとめました。

まず七五三とは、、、
平安時代に公家の間で始まったお祝いの儀式が起源のようですが、
一般的には江戸時代に五代将軍徳川綱吉が
長男徳松をお祝いしたことが始まりのようです。
江戸の一般庶民の間に広がったこのお祝いの儀式は、
やがて呉服屋で子供向けの商品を売り出すなど盛んになり、
京や大坂、次第に全国に広まったとされています。
意外なことに「七五三」という言葉が生まれたのはもっと後、
明治に入ってからだそうです。

では七五三という由来はどこからきたのでしょうか??
これは元々、「髪置」「袴着」「帯解」の祝いといっていたそうで、
「髪置の儀」は三歳の男女(地方によっては主に女児)の祝いで、
「もう赤ん坊ではない」という意味から
今まで剃っていた髪を(江戸時代の風習)この日から伸ばし始める儀式。
「袴儀」は五歳の男児の祝いで、
袴を着用し始める儀式。
「帯解きの儀」は七歳の女児の祝いで、
着物の着け紐を取り去り帯を結び始める儀式。
「七」「五」「三」など奇数は縁起のいい数字とする
中国の思想もあるそうです。

そして千歳飴のはじまりについてですが、
江戸時代元禄〜宝永(1688〜1711)頃
浅草の七兵衛という飴売りが
紅白に染め抜いたた棒状の飴を、
松竹梅や鶴亀をあしらった細長い袋に入れ
『千年飴』『寿命糖』という名で売り出したとされています。
他にも1615年大坂の平野甚左衛門が江戸に出て
「長い長い千歳飴を食べると千年もの長寿になる」
というキャッチコピーで売り出した説もあるようです。
起源には様々な説がありますが
そんな、めでたく当時まだ高価だった飴が、
「粘り強く長く生きて欲しい」という
我が子を思う親の願いにつながり、
七五三のお祝いのお返しとして配ったのが
七五三と千歳飴の歴史の始まりだそうです。
全然知らなかったのでびっくりしましたが、
昔は頂くのではなく配っていたということです。
今でも金太郎本店には昔ながら、
数十個単位で購入される
年配のお客様がいらっしゃるそうです。

そんな金太郎飴本店では今なお、
職人さんの手で金太郎飴を作り続けておられます。
金太郎飴といえばどこを切っても同じ顔というイメージ。
今で言うところの「コピペ(コピー&ペースト)」のような
もしくはスタンプのように
合理的に大量に生産をするための工夫だと思っていましたが、
実は手作業のため、
同じ顔は二つとしてないそうです。
すごく興味深いお話だなあと思いました。
それはまさに全てのお子さんと同じで、
同じ子供は二人として存在しないということで、
目が大きい子がいれば目が細い子も、
鼻が高い子も顔が丸い子も口が大きい子も、
社交的な子もいれば、一人で何かに没頭するタイプの子、
物覚えがいい子がいれば、スポーツ万能の子もいる。
親にとっては我が子は我が子。
人と比べるものではなく、
その個性を悲観するんではなく、
その個性が素晴らしいことだということ。
そしてそんな個性がたくさんある世の中の方がやっぱり彩りがあって。
いい世の中だなあと。
なんだか七五三にお子さんに伝えるメッセージとしては
僕はしっくりきました。
そしていつの世も親が子を思う気持ちは一緒で
「金太郎のように強く逞しく優しく、千歳飴のように粘り強く長生きして欲しい」
子供の成長と共にある七五三と千歳飴は
切っても切れない関係でした。


東京メトロ日比谷線三ノ輪駅を出てすぐの金太郎飴本店

伸ばしていく前の金太郎飴と五代目の写真

取材を快諾頂きました六代目渡辺さんはIT企業でお勤めされていたそうです
新しいことへの挑戦もたくさんされています

細長い金太郎飴は粘り強く長く生きて欲しいという親の願いにもつながりました

店内いたるところに金太郎が、昔のものや貴重なものが

金太郎飴のロゴがあしらわれた暖簾

切られた状態でも販売されていました。

確かによく見ると顔が違ってて見比べるのも楽しいですね
金太郎飴は作った人に顔が似るらしいです

WEBサイトにはなかったこちらのデザインがすごく気に入り
今年から竹田写真館ではこちらのデザインにさせて頂きました

2018.07.25

移転にまつわるお話

第7話『写真館の幹となるデザイン』

最後にお話しさせて頂きたいのが、『and.』町田美紀さんです。
竹田写真館のショップカード、ホームページ、名刺、ロゴ、などなど
写真館に関わる全てのデザインを担って頂いた方です。

普段お仕事でデザイナーさんとご一緒させて頂くことはありますが、
カメラマンという立場だと0から携わらせて頂くというよりは
ある程度骨組みが決まり準備が整った上でお声がけ頂いてから、
お仕事させて頂くことがほとんどです。
勿論クライアントさんとどういった流れでこういった撮影になったかを
撮影前に打ち合わせすることはありますが、
0から1をクライアントさんと話し合う
デザイナーさんのご苦労な場面は以外と知りません。
そもそもデザイナーさんというと、グラフィック、ウェブ、パッケージ、ロゴなどの
外側をデザインするイメージが強いかと思いますが、
実はそうではなくて、クライアントさんの頭の中にあるものを形にしていく、
クライアントさんにとっての幹のような存在の重要な役割のお仕事なのです。

町田さんは嫁の同郷の友人で、フリーランスとして独立する前の2007年に出会いました。
その当時は東京でお仕事をされていたんですが、
色々なタイミングが重なり2011年拠点をご自身の地元である高知に移されました。
直後の2012年ゴールデンウィーク、
竹田写真館開業に向けての正式な依頼として高知に伺いました。
クライアント側にたってデザイナーさんとお話させて頂く初めての経験となったんですが、
いざホームページの構成、必要な印刷物の仕様、そこに使用する文章など
写真以外のところを掘り下げると。
しっかり頭の中で考えて、ある程度まとまったイメージでしたが、
まだまだ曖昧で、矛盾した箇所もかなり出てきました。
思いがあっても、それをきちんと形にしないと伝わらない。
どうしたいのかを一つ一つ丁寧に聞いて頂き、形にして頂く事から始まりました。
ようやく町田さんのおかげで頭の中の交通整理が進み、形が見えてきました。

デザインに関しては、
もうとにかく毎年撮ることを長く続けられる写真館にしたいのが大前提でしたので
時代が変わっても飽きない、すべてのものがシンプルな方向を目指しました。
写真自体も白い背景にシンプルなライティングで
主役のお客さまのみ浮かび上がって、定点で記録して行く。
飾る為の台紙、フレームも自ずとシンプルになって行きました。
ロゴも色々考えたんですが、いいなと思ったフォントを見つけ嫁にトレースしてもらったものを
スキャンしスタンプにしたものを複写したものがロゴになりました。
名刺も手仕事感がほしかったので、一手間かけてさらにスタンプというアイデアになりました。

ホームページの構成は、
お客様にはとっては煩わしく面倒くさい事ですが、
まず写真館開業の思いを読んで頂いてから、
興味を持って頂いた方のみ奥へ奥へ進んで頂けるような仕組みにしました。
値段や分かりやすい情報だけで選んで頂くより、
開業への思いを知って頂いた上でお越しいただけた方が
絶対にいいと思ったからです。

ショップカードも同様の考えで、二つ折りにし値段も載せない不親切なものにしました。

男兄弟で育った自分にとって、女性の意見はきめ細やか、
かつ指摘もはっきり的確に言って下さいます。
そういう部分も本当に助かりました。

今まで使ったことのない頭を使い、
ホームページの構成、必要な印刷物、そこに使用する文章など
写真以外のところを掘り下げることで、
改めて自分が何をしたいのかを俯瞰してみることができました。
少しずつ竹田写真館の幹が出来上がっていく瞬間でした。
頭の中にあった大きなイメージが、根を張り、幹が出来上がった感じです。
これからさらに根を張り、幹を大きくし、枝が広がり、葉に覆われ、いずれたくさんの実がなるように、、、、。
あとは自分次第です。

移転時というよりは、開業時のお話になってしまいましたが、
移転時も、移転後の今も常に相談にのって頂き、あらゆる面でサポートをして頂いております。
今まできちんとご紹介できていませんでしたので、
改めてお話しさせていただきました。

町田さんは故郷の高知と東京を行き来しながら、
ローカルから大切なことをご自身のスタンスで発信していらっしゃいます。
僕もこの玉造と谷町六丁目の間にある空堀町の小さな写真館から
自分の歩幅で大切なことを発信していきたい。
振り返ってみて改めてそう思いました。

and.


6年前の開業時のお披露目会用のご案内とビールと風船。
名刺、ショップカード、ホームページ。

手作業でトレースしスタンプを作成し、捺印したものをロゴとして使用しています。

2018.06.18

大阪北部地震について


この度、大阪北部で発生しました地震で
被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

被害の大きかった地域にお住いのお客様もいらっしゃって、
心配しております。

写真館のある大阪市内でも大きな揺れに見舞われました。
幸い家族も写真館も被害はありませんでした。

遠方の方よりたくさんのメールを頂きました。
ご心配頂きましてありがとうございました。

ちょうど仕事の私と小学校に通う長女と一緒にエレベーターに乗り
一階に降り立った瞬間に揺れに遭い低い姿勢のまま外まで走りました。
その後周りの状況を確認し、一旦それぞれ仕事に学校にと向かいましたが
仕事はキャンセルになり、学校もその後休校になり、
同じく休園になった次女と、不謹慎かもしれませんがカメラを片手に小学校に向かいました。
その後、三女も一緒に公園へと遊びに行きました。

大人でも心がかき回される中で、子供達の動揺も見て取れました。
でもよく行く公園で徐々に日常を取り戻す中で
結局子供たちを見ていて自分の心も平常を取り戻してくれた気がします。

熊本地震の際にも書きましたが、
写真が町や建物を復旧したり、病気やけがをされた方を治療したり、
空腹を満たすことは出来ませんが、
大切な日々の「当たり前の風景」を残し続けることで、
必要な時に必要な方の力になれる。
そう信じています。

そしてこの日の事を、怖かった今日の日を
子供たちが覚えていてくれるように写真に残しました。
日本で生活する以上いずれまたどこかで大きな地震が起きてしまいます。
そこで被災してしまった人たちの気持ちを、
少しでも今朝の動揺と重ねて考えられるように。

2018.05.22

竹田写真館は新しい場所で四年目を迎えました

本日写真館は新しい場所(今の場所)に移って三年が経ち、四年目を迎えます。
いつも何かの記念日ごとにお伝えしていますが、
これもひとえに今までお越し頂きました全ての皆様と、
いつも支えて頂いています皆様のおかげです。
本当にありがとうございます。

三年が経ち、写真館の建具、椅子、表札、などなど
益々味が出てたまに見てはニンマリしています。
もう一つ、昨年あたりから新規のお客様の数より、
顧客様の数の方が増えていて、これは嬉しい限りです。
ほとんど宣伝もしていませんので、
基本的にはお客様の口コミです。
ご新規のお客様でも
「〇〇さんに勧めていただきました!」
「〇〇さんのお宅に飾ってあるお写真が素敵で!」
「〇〇さんの年賀状が素敵だったので!」
「〇〇さんのSNSを見て!」
という風に初めてお会いするお客様も半ば親近感がある方が増えて本当に嬉しいです。
営業努力的な視点から言えば今の状態では駄目なのかもしれませんが、
「毎年撮る」ことをテーマに始めた写真館なので、、、。
初めてお越しいただくお客様も当然嬉しいです。
2回目お越しいただけたら一気に距離が縮まります。
毎年お越しいただけるお客様は大袈裟かもしれませんが、
家族(失礼ですが、お客さまというより身内よりです)の視点になります。
写真館を初めてこの秋で七年目。
そういった距離感と温度でお仕事させて頂けてることが何よりの財産だと思います。

ここ数年は色々やりたいことを考えていても、なかなか実現できないフラストレーションもありますが、
逆にそういった自由な時間がない分、目の前のお客様に集中できているのかなとも思います。

6月より、前にもお伝えしていました通り(下記にリンクを添付しました)、
一部サービスの変更を実施します。
夏頃にサービスの変更も踏まえたホームページのリニューアルを予定しております。
あとは、毎年撮影させていただいたお写真を飾っていただくための仕組み、
そして来年用の年賀状サービスの内容を詰めています。
竹田写真館で小さな小さなメディアを作ろうとも考えています。
「移転にまつわるお話」も結局完結出来ていません。頑張ります、、、。
こうして公言していないと、なかなか実現できないので、
一方的にお伝えさせていただいております。

続けていくことは本当に大切なことですが、
続けさせて頂いていることに感謝がなければ意味がないと思います。
今後とも竹田写真館をどうぞよろしくお願い致します。
いつもありがとうございます。

館長 竹田俊吾

>一部サービスの変更について

2018.04.11

新しい年度のはじまり

先週末は各地でご入園、ご入学のタイミングでしたね。
写真館にも記念にお越し頂いたり、
写真館周辺には学校が多く、沢山の新入生の姿を見る事が出来ました。
すっかり桜は散ってしまいましたが、
とてもとてもいい季節がやってきました。

個人的な話になってしまいますが、
館長、竹田俊吾はカメラマンとして独立してこの春で丸10年を終え11年目へと突入致します。
独立してからの10年、本当に沢山の方々との出会いに恵まれた素晴らしい歳月となりました。
制作側のスタッフの方々はもちろん、被写体の方々との沢山の時間。
様々な国や日本のあらゆる所。そこで触れることができた自然や文化、
仕事を通して貴重な経験を沢山させて頂きました。

思ってもいなかった刺激的な意見や考え方。
知らなかった事を知れる楽しさ、初めて訪れる地で吸う空気の新鮮さ。
天災人災の恐ろしさ、一生の儚さ、美しさ。
一生続くであろう付き合いの始まり、突然の別れ。
日本の四季風土の恩恵、有り難さ。
身近にあふれる歴史を知ること、そして学ぶこと。未来を見つめること。
同じ形であろうと、形を変えても、一つの事を続ける力強さ。
相手を思うこころ、気持ちを込めること。
伝える事の難しさ。そして今を残すことの大切さ。

どれだけ時代が変わっても
人の心を動かすのは、そこにずっとある自然や、人、愛でしかない。

沢山の方々との出会いがなければ、
そんなことをわざわざ声に出す自分はいなかったと思いますし、
写真館を始める自分なんて存在しなかったと思います。

独立してからの半分以上の歳月になった写真館。
10年前を思うと不思議でしかないですけど、
この場所のおかげで、また沢山の方々との出会いが広がっています。
今では自分にとってなくてはならない場所です。

そんな出会いを作って頂いた沢山の方々に、
この場をお借りして御礼を申し上げます。
平日はカメラマン竹田俊吾、週末は竹田写真館館長として
これからも精進して参ります。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

2018.02.01

移転にまつわるお話

第6話『写真館移転お披露目会』

移転に伴う新しい竹田写真館のお披露目の会を
5月22日と23日に設けさせて頂く事になりましたが、
遡ること二年半前の2012年9月22日と23日に
竹田写真館開業をお披露目する会を設け沢山の方々に
お祝いして頂いたばかりでした。

そんなタイミングだったので、
またまたお越し頂く方々にも喜んで頂けるように、
ポラロイド写真を撮影させて頂きプレゼントしたい
というのは早々に考えていました。
でももう少し何か出来ないかなと考え至ったのが
お披露目会の招待状が、ポラロイド写真を飾る台紙になるという発想でした。

不特定多数の方に配るものではなく、大切な方々だけにお送りし
記念としても残して頂ける招待状にしたい。
お持ち頂いた招待状を、ポラロイド撮影の引換えとして一旦お預かりさせて頂いて、
出来上がったお写真を貼ってお返しするというものでした。
ご案内のデザインは神崎奈津子さんにお願いさせて頂きました。
普段から紙や印刷にこだわっておられ、
個人の方向けにもオーダーメイドで名刺製作をされていたり。
前から印刷物を製作する時はお願いしたいなと思っていた方です。
何度もお話を聞いて頂き、丁寧に製作して頂きました。

もう一つの感謝の形が、チーム竹田写真館決起集会を行ったお店の店主ペコちゃんのケータリングと
WEEKENDERS COFFEEさんの焼菓子でした。
いよいよ全ての準備が整い移転オープンの日を迎えることになりました。

開場一時間前にこそっと、今回携わって頂きました皆様にお声がけし、
お集まり頂き、先に乾杯をさせて頂きました。

二日間で沢山の方々にお越し頂き、
遠方の方々からも沢山のメッセージを頂きました。
案の定、会を満喫し当日の模様の記録が一切ありませんが。
皆さんのお顔を見ながら、一日でも長くこの写真館を続けて行きたいな
と心に誓うのでした、、、、。

神崎奈津子さん
WEEKENDERS COFFEE
>ペコちゃんこと宮内亜衣さんは現在谷町のTABLE TOPというお店を切り盛りされています。

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丁寧に作って頂きましたご招待状。
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ご持参頂いたご招待状に当日撮影したポラロイド写真を糊付し、その場でお渡しさせて頂きました。
オープン当日に届けて頂いた真新しい椅子に二人の娘を座らせポラロイドで記念撮影。
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一つ一つ手間をかけて作って頂いたケータリング。
味は勿論、新しい門出にぴったりの華やかな見た目に感動。

2018.01.03

営業開始

info20180103
2018年、写真館の営業が本日より始まりました。
実はこの春フリーランスのカメラマン竹田俊吾として、独立してから10年が経ちます。
独立前の時期、前の事務所の仕事をしながら、夜は営業活動をしていました。
先が不安で、どうなる事かと色々模索していた、ちょうどそんな時期に、
学生時代の後輩の紹介で知り合った、言えばフリーランスカメラマン竹田俊吾として
最初の友人が、2018年の最初のお客様でした。

出会って10年が経ち、友人は拠点を東京に移し、それぞれ家族が出来き、当時より忙しくなり、
最近は年に一回会えるかどうか、、、。
そんな中、写真館を通して再会出来ることは本当に感謝しかありません、、、。

私的なブログになってしまいましたが、
感謝の気持ちを写真でお返し出来るように2018年も精進して参ります。
皆様本年もどうぞ宜しくお願い致します。

2018.01.01

年始のご挨拶

新年あけましておめでとうございます。
竹田写真館は六回目の年始を迎える事が出来ました。
ありがとうございます。

昨年はやりたかったことが、ほとんど出来なかった一年でしたが、
そんな中、2月3月と写真館でイベントを開催し、
7月には梅田イーマさんにお声がけ頂き出店をさせて頂きました。
ありがとうございました。

今年は昨年の反省を踏まえ、静かに構想を温め、
出来る範囲のことを、一つ一つ形にしていくことが出来ればと思います。
予定では2月にポラロイド写真館(場所未定)、
2019年用から「飾れる年賀状」の販売致します。

今年も元旦から自分自身に言い聞かせるための
決意表明みたいになってしまいましたが
もちろん一番大切なことは通常の写真館の営業です。
本年もどうぞよろしくお願い致します。

館長 竹田俊吾

2017.12.31

今年の営業が終了致しました。

info20171231
毎年恒例の写真館のペンキ塗りと片付け。
今年も沢山の方にお越し頂きまして
充実した一年を過ごすことが出来ました。
本当にありがとうございました。

年を重ねるごとに、
広く(毎年新しいお客様との出会いが広がり)
深く(毎年お越し頂いているお客様とは関係が深くなり)
なっていく写真館。
想いを持って始めた写真館ですが、
年々自分の手を離れていくというか、
不思議な感じになります。

今年はイベントや新しく始めたいことを年始にたくさん発表しましたが、
なかなか手が回らず、ほとんど何も出来なかった一年でした。
来年は少しチャレンジできればいいなあと思います。

最後になりましたが、
今年初めて写真館にお越し頂きました皆様。
毎年、記念日ごとにお越し頂いている皆様。
イベントにお声がけをいただきました皆様。
いつも陰で写真館を支えて頂いている皆様。
本当にありがとうございました。
皆様の「思い」と大切な「当たり前の日常」を残すお手伝いがしっかりできるように
精進していきます。
来年も竹田写真館をどうぞ宜しくお願い致します。

2017.05.23

竹田写真館は新しい場所で三年目を迎えました

5月22日、竹田写真館は今の場所に移って二年が経ち三年目がスタートしました。
間借りから始まった写真館ですが、二年前に今の場所と出会い第二章の物語が始まった感じがします。
この場所での歴史はわずか二年ですが、ご近所の方々にも少しずつですが存在を知って頂き、
お越し頂けるようにもなってきました。
場所を構えて営業していく事の大切さを痛感した二年です。

間借り時代を合わすと秋で五年、六年目が始まります。
それでも皆様の物語からするとわずか五年ですし僕自身の物語からしてもわずか五年です。
とは言えそのわずか五年で娘が一人から三人になりました。
当然取り巻く環境も大きく変わりましたし、考え方も、体型も、、、。

長かったようであっという間だったり、楽しかったようでつらかったり、
しっかり覚えているようで曖昧だったり、と時間と記憶は本当に不思議です。
だからこそ撮っていた写真が年を重ねるごとに大切な話し相手になっていくんだなぁと思います。

何もない当たり前の今を写真記念日として毎年撮ることを掲げて強い思いで始まった写真館ですが、
今は「自分の思い」というのは少し薄れていって、お越し頂けるお客様といつものようにお話しをしながら、
一日でも長く竹田写真館を続けていきたいという思いだけです。
その為にお客様の時間と記憶を刻んでいけるように自らが成長を続けていくだけと思っています。
そしてこのような記念日がくる度に、少し立ち止まって、振り返って、
今がある事に感謝をしていきたいです。

最後になりましたが竹田写真館に今までお越し頂きました全ての皆様、いつも支えて頂いています皆様。
本当にありがとうございます。
『移転にまつわるお話』というページを設けこの日に合わせて全て書き終わっている予定でしたが、
残り3話間に合いませんでした。
読み返しても恥ずかしくなるくらい竹田熱と竹田臭がすごいですが、そこからわずか二年ですが、
自分自身シンプルになっていっているようにも思います。
どうぞ今後とも竹田写真館を宜しくお願い致します。

移転にまつわるお話

館長 竹田俊吾