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2020.07.10

もも







ちょうど5年前の6月ごろ、
お仕事で何日か、伏見桃山の「もも」を探す旅をしていました。
写真館が今の場所になってまもなくの頃です。

実は私が生まれたのは伏見で、
というのも母親の実家が伏見だったので
伏見の病院で生まれたのですが、
小さい頃はおじいちゃんおばあちゃんに
会いによく伏見に行っていました。
小学校になると大げさかもしれませんが、
夏休みの半分くらいは預かってもらっていたかもしれません。
高学年になると弟を連れて
電車に乗って二人で行くこともありました。

そんな伏見も
中学くらいになると部活が忙しくなったりで、
訪れる回数も減っていきました。
その後、おじいちゃんおばあちゃんが亡くなってからは
お墓まいり以外に、ほとんど訪れることがなくなっていたので
お仕事を頂いた時は不思議な縁を感じました。
なんか呼ばれるような感覚というか。

基本的には伏見の記憶は幼少の頃の記憶だったので、
意外とこんな小さな道だったんだなぁとか、
サイズ感の驚きはありましたが、
歩いた道、何気なく見ていた景色。
変わらず残っているものがたくさんありました。
そんなゆかりのある場所の歴史に触れるお仕事だったので、
見慣れた景色が違って見えてきたり、
自分が生まれてきたルーツとも重なって不思議な感覚でした。

伏見といえば坂本龍馬にもゆかりある街で、
まさか高知の奥さんをもらうなんて思いもよりませんでしたし、
最初の伏見桃山城を築城したのは豊臣秀吉で
今写真館がある場所が、大阪城の空掘にあることとかも
何か説明ができない縁のようなものを考えてしまいます。
もちろん、たまたまという言葉でも片付けれるのかもしれませんし、
縁を辿れば何かしらに結びつくのかもしれませんが
どうもそうは思えないんですね。

今まで沢山色々なお仕事をさせていただいてきましたが、
その中でもとりわけ記憶に鮮明に残っているお仕事というのもあって、
そういったお仕事は口では説明ができない
そんな不思議な感覚、巡り合わせ、縁というのがあるように思います。
そもそも写真ってそんなものなのかなとも思うようにもなってきました。
降るべくして雨が降って自然界を循環しているように、
出会うべくして出会うような。
撮りたいと思って撮っているのではなく、
撮らせてもらっているような感じといいますか、、、。

先月この伏見のお仕事をご一緒させていただいた方の
訃報を知りました。

同い年のその方とはここ2、3年ご一緒できていなかったので
近況を伺ってはいなかったのですが、
その方の新刊を最近取材先の書店で見つけところだったので、
あーお元気にされているんだなぁと勝手に思っていました。
なので本当に言葉が何も出てこず、
頭の中が、ただただぐるぐる回るような日々が
しばらく続いていました。

そんなタイミングで、雑誌のお仕事で伏見のお店の取材が飛び込んできまして、
これも不思議で、伏見にはその時以降お墓まいりにしか行けていなかったので
本当に呼ばれるように、、、あの時、探し求めた「もも」を見に行きたい
という衝動にかられ、
取材日当日、早い時間に伏見に降り立ちました。

5年前に探し当てた「もも」の写真が、
その時のお仕事の冊子の表紙になったのですが、
取材期間中は実はまだ全く色づいていなくて、
その後、何度も何度も足を運び、締め切りが迫る中
7月上旬にようやく色づいて撮影した写真を
すぐに納品したという思い出がありました。

まさにその時と同じような時期だったので
もう色づいたたくさんの「もも」に出会えることを半ば確信して、
高鳴る気持ちを抑えて現場に向かったのですが、
残念ながらその場所にあったはずの「もも」の木がありませんでした。
塀も新しくなっていました。
あまりに景色が変わっていたので本当にここかどうか、
自分の記憶を疑いましたが、
5年前、塀の上になっている「もも」に近づきたくて
右往左往していたら、近所のお宅の軒先きの木を
剪定されている方がいらっしゃって、
脚立を借していただいたんですが、
そのお宅がそのままの姿で残っていたので、
この場所だと確信しました。
それは同時に悲しい現実でもありました。

写真をやっているからか、この年齢になったからか
わかりませんが、人生の中での過ぎていく日々の分量が
どんどん増えてきて自分でも整理できないようになってきています。
特にそういうものを切り取っていく仕事なので
余計にそう思います。

でもあの頃と変わらず登下校をする学生さんの姿が
変わらずそこにあることが、
スーッと現実に戻してもらったような不思議な時間でした。

そしてその方と少し会えたような気持ちになりました。